死を、教えてくれ。 #0

企画背景

企画背景: 第0回 「死を、教えてくれ。」

Place: 株式会社まなか 銀座オフィス
Words: 荒井 道広

なぜオッさん達が、「死」を叫ぶのか。 (Behind The Scenes: 企画 死を、教えてくれ。)

パチモノのベルト3本と、迫ってきた「時間の有限さ」

親父が逝った。
最後は脳梗塞で何も語らず旅立った親父のクロゼットを整理していたら、全く同じパチモノらしきベルトが3本出てきて、思わず笑った。
“VALENTINO CHRISTY” って何だよ親父…なんで3本も買ってんだよ…
土木建築業を営んでいて、特別ファッションにこだわりがあるようには見えなかった親父だが、クロゼットは着もしない真新しいスーツばかりで、結局気に入った服をずっと着続けていた。思い返せば、小1の僕に、レザーのフライトジャケットやらBOBSONのデニムベストやらを着せたがるような人だった。
あのベルトも含めて、親父なりの不器用な生き様のラインだったのかもしれない。

そんな笑いの後にやってきたのは、冷たいリアリティだった。
どんなに楽しく生きようが、人には必ず終わりが来る。親父の死と、僕が50歳を迎えたタイミングが重なり、「時間の有限さ」という事実が、重い現実として僕の身体に重くかぶさってきた。

VALENTINO CHRISTY のバックルが付いた同じベルト 3 本を、青空にかざす手

Street Culture の成熟と、転職。

その当時、僕は20年間ほど Street Culture のド真ん中に身を置いていた。
Surfing / Skateboard / Snowboard。
若い頃の僕にとって Street とは、DIYや既存の価値観に対するカウンターカルチャーとしての「カッコ良さ」だった。しかし、競技になり、スポーツとして認められたオリンピック・スケートボード競技を画面越しに見て、本当の価値に気が付いた。
誰かが失敗すれば、手を差し伸べる。誰かが成功すれば、自分ごとのように喜ぶ。いつもの見慣れたシーンだが、 この世界最高のスポーツの舞台では、賞賛されるのは勝者ではなく、この世界観だった。
「当たり前と思ってた "勝ち負けの無い世界観" 。今のカッコ良さって、ここなんだな」

親父の死によって突きつけられた「時間の有限さ」 Street Culture が「勝ち負けの無い美学」として認知され、自分の中で起こったある一定の完結。この2つが重なって、なんだか満たされた。
自分だけのラインを滑り切った後に訪れる、あの満ち足りた感覚。ノイズの先にある余白という感覚は、違った領域で活かせるかも…と。

僕は20年のキャリアをそっと置き、運よく、大切な人の死を整える会社 「株式会社まなか」 へと転職した。

会議室のスイッチと、感覚値だけで生きる人。

「死」を生業とする株式会社まなかに入り、日々向き合う中で、どこか貢献できない違和感やモヤモヤを抱えていたある日のこと。会議室で、副社長の宮嶋孝尚が言う。

「死を生業としながらも、この現象に本当に向き合っているのか?」
「死を遠ざけず、生を研ぎ澄ますために、死を伝えるべきではないか」

彼に強いスイッチが入ったのが分かった。そして僕の中でも、長年培ってきた Street の感覚が重なった。理屈や綺麗な言葉で死を語らない。当事者性を持って「キワ」を生き抜いてきた人たちに死を問う。新たな死生観を語れるメンターリストがすぐに浮かび上がる。
こうして企画「死を、教えてくれ。」のトリガーが引かれた。

本企画を本物のドキュメンタリーにするために、一緒に走りたかったのが、AOTLの岡田光次郎。 Burton Snowboards 時代から信頼しているカメラマン(当時)であり、ストリートの感覚値で生きている人。 そんな彼は今、日本のインディーズヒップホップシーンを牽引するレーベル AOTL の代表として超多忙。そんな彼に相談すると、彼は、笑ってこう言った。

「あ〜これ面白いわ、やろう」

コーちゃんが構えてくれるからこそ、説教臭い哲学でも宗教でもなく、 Street Culture をまとった本物の表現になると確信した。

砂利の上の撮影用モニターに、山の斜面で話す 3 人が映っている
今年はAOTL大忙し! Yo-Sea君 FUJI ROCK 出演からの ASIA Tour等々! コーちゃん、ホントにこんなことしてて大丈夫なのか笑!?

ノイズの先を求めて

まなかの宮嶋兄弟、岡田のコーちゃん、そして僕、荒井。
死の答えを求めて彷徨う50周辺のオッさん達が集まり、これから全国のメンターたちに、死とは何か? をセッションし、考察します。答えはみつかるのか。
死を遠ざけず、今この一瞬の 「生」 のラインを再確認するために。

「死を、教えてくれ。」 が、ようやく始まった。