その当時、僕は20年間ほど Street Culture のド真ん中に身を置いていた。
Surfing / Skateboard / Snowboard。
若い頃の僕にとって Street とは、DIYや既存の価値観に対するカウンターカルチャーとしての「カッコ良さ」だった。しかし、競技になり、スポーツとして認められたオリンピック・スケートボード競技を画面越しに見て、本当の価値に気が付いた。
誰かが失敗すれば、手を差し伸べる。誰かが成功すれば、自分ごとのように喜ぶ。いつもの見慣れたシーンだが、 この世界最高のスポーツの舞台では、賞賛されるのは勝者ではなく、この世界観だった。
「当たり前と思ってた "勝ち負けの無い世界観" 。今のカッコ良さって、ここなんだな」
親父の死によって突きつけられた「時間の有限さ」 Street Culture が「勝ち負けの無い美学」として認知され、自分の中で起こったある一定の完結。この2つが重なって、なんだか満たされた。
自分だけのラインを滑り切った後に訪れる、あの満ち足りた感覚。ノイズの先にある余白という感覚は、違った領域で活かせるかも…と。
彼に強いスイッチが入ったのが分かった。そして僕の中でも、長年培ってきた Street の感覚が重なった。理屈や綺麗な言葉で死を語らない。当事者性を持って「キワ」を生き抜いてきた人たちに死を問う。新たな死生観を語れるメンターリストがすぐに浮かび上がる。
こうして企画「死を、教えてくれ。」のトリガーが引かれた。